デス・オーバチュア
第221話「ミッシングパレス(失われた宮殿)」



約四千年の昔。
東西南北中央の五つの他にもう一つの広大な大陸が存在し、その全域を獅子の名を持つ帝国が支配しつつあった。
だが、他の五つの大陸すら巻き込んだ魔導戦争末期、獅子(ルーヴェ)は大陸ごと海中へと没する。
究極の魔導兵器の暴走暴発というのが一番有力な説だが、他にも諸説が存在し、その真相は謎のまま……ルーヴェという帝国があったことも、大陸の存在自体が、人々の記憶と歴史の記録から失われつつあった。



長い間人の手が入った気配のない宮殿(パレス)。
廃墟といってもいい宮殿を、一人の青年が歩いていた。
白と銀を基本とした王族のような豪奢な衣装を着こなした、漆黒の長髪と瞳の男。
かつてこの宮殿の主であった男、ルーヴェ帝国最後の皇帝ルヴィーラ・フォン・ルーヴェだった。
今は、コクマ・ラツィエルと名を……存在そのものを変えた男は無言無表情で歩き続ける。
その三歩後ろを影のように、水色の長髪の美女アトロポスが付き従っていた。
ここは遙か海中に沈んだ都市の中である。
にもかかわらず、宮殿の中は海水に浸食されておらず、水圧の影響もなかった。
宮殿自体に不思議な力があるのか、この宮殿の主が自らの力でこういった形に『保管』したのかもしれない。
やがて、皇帝と従者は、大聖堂(カテドラル)のような所に辿り着き歩みを止めた。
「……久しぶりですね……やはり、あなたと話すとしたらここでしょうか……」
コクマは虚空に誰か居るかのように話しかける。
この聖堂……聖廟(せいびよう)に祭られているのは神でも、先人たる皇帝の英霊でもなかった。
たった一人の少女の魂……ここは一人の少女のためだけに作られた神聖なる場所。
生前の少女の居場所であり、死後は彼女の魂が眠る墓所だ。
「御覧の通り、私はまだ生き恥を晒しています……」
「…………」
従者たるアトロポスは無言で主人の後ろに控えている。
「史上最悪の皇帝……歴史の裏で暗躍する黒天使……この四千年、アトロポスの望む『悪』を演じてきましたよ……」
「…………」
自らの名が出されても、アトロポスは無反応だった。
「まあ、性には合いましたし……特に何の目的もなかった私には丁度良かった。きっとこれからも悪を続けていくでしょう……いつか、誰かに滅ぼされるその時まで……」
ルヴィーラには夢も希望も生きる目的も……何一つ無い。
空虚たる彼を動かすのは、アトロポスの望みと、『ラツィエル』の遺志……彼と運命を共にする二つの魂……いや、もはやアトロポスもラツィエルも彼の一部、彼自身であった。
ならば、アトロポスの望みは彼の望み、ラツィエルの未練は彼の未練である。
「ラツィエルが気にかけていた悪魔王エリカ・サタネル……いや、紅天使エリュディエル……実に面白い方でしたよ。とても楽しそうに刹那を生きている……まあ、快楽と娯楽で空虚を埋めているのかしれませんが……あれなら心配はいりませんね」
ラツィエルとエリュディエルは純粋な『天使』だった頃、近しい位置にいた。
エリュディエルから見れば腐れ縁、苦手な相手。
ラツィエルから見ればからかい甲斐が弄り甲斐がある相手だった。
「神に恋人だった天使の少女を殺され、たった一人で神に反旗を翻した血塗れの誇り高き天使……」
それがラツィエルの記憶にある紅天使エリュディエルの姿である。
「……とても今の姿……今の淫蕩ぶりからは想像がつきませんね……寧ろ、カーディナルさんの方がイメージに合いますよ」
娘……分身(分体、肋の一本)とも言えるカーディナルが、彼女の若い頃の性格気質をしていても不思議はなかった。
「……ラツィエルとエリュディエルどちらが先に『神』を倒すか……彼女と交わしたその賭けは引き継いでもいいですが……彼女に対する執着だけは引き継ぐのはごめんですね」
エリュディエルに歪んだ愛情、激しい執着を持っていたのはあくまでラツィエルであり、ここに居る『コクマ・ラツィエル』ではない。
「だからこそ、今の『あなた』の気持ちも解ります……それにもう、私も今更普通には生きられませんしね……」
「…………」
アトロポスの感情は表情からは解らないがかなり揺らいでいた。
魂を共有する存在である主人には、この揺らぎは確実に伝わっていることだろう。
だが、コクマはそのことに何の反応も示さなかった。
「……お館様……」
耐えきれなくなったのか、アトロポスの方から主人に声をかける。
「ああ、気にすることはありませんよ、アトロポス。確かに、私から彼女を奪ったのも、平凡でささやかな生活(幸福)の可能性を摘み取ったのもあなたですが……」
「…………」
「あなたとしてはそれは当然の選択でしょう。神剣の主人である男が、一人の女性だけを愛して安寧に暮らすなど……あなたとしては自分の力を発揮する場を、喜びを得る機会を失うことですからね……」
「…………」
アトロポスは否定しない、指摘が全て事実であるからだ。
「私はこれからもあなたに極上の喜び……人の破滅と世界の混乱を提供しますよ……あなたの喜びは、私の喜びでもあるのだから……」
「お館様……」
人が足掻き、苦しみ、破滅していく、国が乱れ、穢れ、争い、滅亡していく……その過程を眺めることこそ、この冷たき運命の女神(アトロポス)の唯一にして最大の娯楽で快楽……『悦楽』なのである。
そう言った意味では、アトロポス……トゥールフレイムは、世界を滅ぼそうとするラストエンジェルやサイレントナイトよりも質が悪い神剣(女神)だった。
「あなたには感謝していますよ、アトロポス……あなたに出会わなければ私は虚無の皇子……何でもできる代わりに何もしない何も望まない……無気力な存在で一生を終えたでしょうから……」
「…………」
コクマとアトロポスが出会ったのは『偶然』ではない。
未来の視える彼女は、ルーヴェの皇城の地下深くで、自分の生涯唯一人の主となるコクマが生まれるのを、自分の元にやってくるのを、神剣戦争以来ひたすら待ち続けていたのだ。
運命の女神である彼女が、自らの意志で望んで演出した運命(必然)の出会い。
コクマ唯一人の剣(従者)となるためだけに自分という存在は生まれたのだ……少なくともアトロポスはそう信じていた。
優しさや甘さといった温もりを一切持たない冷たき女神、他の存在の破滅や滅亡にしか喜びを見いだせない災厄の女神でありながらも、コクマ(主)に対する忠誠心と心酔だけは本物である。
「では、そろそろ帰りますか」
コクマは最初に見つめていた大聖堂の虚空に背中を向けた。
「……はい、お館様……」
アトロポスは歩き出した主人の後に付き従う。
運命を司る主従は一度も振り返ることなく、大聖堂を後にした。



「セレナ! セレナは居ないの!?」
太陽の存在しない闇の世界に存在する魔城。
完全なる闇の世界……されど、妖しげな青い灯りが天上の壁自体から放たれているため暗くはなかった。
乱暴にドアが開かれる。
姿を見せたのは、和洋折衷(極東風と西方風の様式をとりまぜた)な服装をした存在だった。
一番下に着ているのは、Aライン(アルファベットのAの様に裾に向けて広がったライン)の黒いイブニング (肩や背や胸元が露出気味な夜の装い)ドレス。
その上に、紫の無地な上衣(着物)をコートのように羽織って(袖に両手を通してはいるが、帯などはせずに前開きで)いた。
さらにその上に、マント(外衣)のような闇色のローブを纏っており、ローブのフードを深々と被って顔を隠している。
ローブの上には、銀色の巨大な肩当てと小さな胸当て(逆三角形の盾)が一つになったような物が『浮いて』いた。
そう、銀色の装飾(武装)はケープのように羽織られているように見えるが、実際は直接ローブに触れておらず、自力で浮遊しているのである。
銀色の両肩と胸の中心にはそれぞれ青い宝石が埋め込まれ、背中からは紫紺のマントが翻っていた。
「……セレナなら地上に遊びに行きましたよ、母上」
部屋の中に居た先客が答える。
金髪に赤いシャツの男がソファーに寄りかかっていた。
「地上……いつのことですか、ソディ?」
闇色のローブの女は、割と筋肉質な赤い背中に問いかける。
「さあ? 三日前だったか、三年前だったか……細かい時間を気にするモノなど此処には無いし、居ない……」
「っ……」
赤い背中……ソディ・ラプソディーが言うとおり、この城には時計など無いし、時間……月日の流れを気にする者など一人も居なかった。
そもそも、魔眼城……魔皇界には一日の変化も季節の移り変わりも存在しない。
太陽が無いので永遠に夜だし、暑さや寒さが変化することもなかった。
「なんてタイミングの悪い……地上に行くなら行くで、使いを頼もうと思ったのに……」
「…………」
ソディは、母親に背中を向けたまま、ワイングラスを弄んだりして、マイペースにくつろいでいる。
「ソデ……」
「お断りします、母上」
「っぅ……」
「私はこの死ぬほどの暇を潰すのに忙しいので……」
つまり、ソディは死ぬほど暇だけど、地上へお使いに行くのは嫌だと言っているのだ。
「いっそのこと母上が自ら地上に出向かれては? 純粋な神族であらせられる母上なら、何の苦もなく地上に降りられるはず……」
「…………」
確かに、魔族と神族の混血であるソディと違って、ただの神族でしかない彼女なら、何の抵抗もなく『全身』で地上に行くことができる。
「良い気晴らしになると思いますよ? 父上にはまだ近づけないのでしょう? リンネ義母上が怖くて……」
「ぐぅっ!」
闇色のローブの女は痛いところを突かれたのか、唇を噛み締めた。
「な……何を言っているの!? なぜ、私がリンネ『様』を恐れなければ……」
様呼ばわりしていることと、名前を口にする時に声が微かに震えていることが、リンネを恐れている何よりの証拠であることに彼女は気づいていない。
「まあ、母上とリンネ義母上では神としての『格』が違いますからね……恐れるのも無理もない……」
「くっ! 戯けたことを……私もリンネ様も同じ超古代神族の出……」
「十の女神はその中でもまた別格なのでしょう?」
「うっ……」
闇色のローブの女は押し黙った。
さっきから、この息子は、痛いところや図星ばかり突いてくれる。
「……まあいいわ……邪魔をしたわね……」
闇色のローブの女は踵を返した。
これ以上余計なことを言われる前に退散した方が得策と判断したのだろう。
「…………」
ソディは、闇色のローブの女が退室するのを無言の背中で見送った。



コクマ・ラツィエルは海の上に立っていた。
彼が居るのは海のど真ん中で、東西南北どの方角にも陸地は見えない。
「…………」
眠っているのか、思索に耽っているのか、コクマは瞳を閉じていた。
彼の足下、遙か海底には、かつての彼の城……国……大陸が沈んでいる。
失われた大陸が存在していた海域で、コクマはもう長い時間静止していた。
「……やっと来ましたか」
呟き、ゆっくりと瞳を開ける。
「お待たせして申し訳ありません、コクマ様」
「…………」
最初からその場に居たかのように、コクマの背後に二人の少女が立っていた。
一人は、美しい長い銀髪と銀の瞳をした少女。
黒と白だけで構成された露出の殆どない正当なメイド服を着こなしていた。
右目を隠すように顔に巻かれた白い包帯がとても痛々しい。
左手には一振りの棒のような物を持ち、履き古された黒いブーツを履いていた。
元ファントム十大天使第十位、片翼の銀天使マルクト・サンダルフォンである。
「お前と違って我らは生身なのでな時間もかかる……遠路はるばる御苦労様ですと言ったらどうだ?」
もう一人の少女の名はシャリト・ハ・シェオル。
年齢は十三〜十四歳ぐらいだろうか、波打つ長い白髪、妖しい真紅の瞳、白いサマー(胸の部分の布地が少なく、スカートにスリットが入った、とても涼しげな)ドレスを着こなしていた。
「まあ、そうですね……では、長旅御苦労様でした、シャリト・ハ・シェオルさん、マルクトさん」
コクマはわざとらしいまでに深々と礼をする。
「ふん……」
シャリト・ハ・シェオルは相変わらずのコクマの慇懃無礼さを鼻で笑った。
「では、参りましょうか。お二人を我が城へ御招待致しますよ」
コクマは二人の少女に手を差し出す。
巨大な影が三人を覆い隠す……上空に巨大な浮遊城が出現していた。











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一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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